多数派が正義であるという幻想

周囲と同じ行動を取り、周囲と同じ意見だと安心する、
という感覚が、西岡には昔から不思議です。
これは多数派が正しい事を前提としているのですよね?
かのナチスは圧倒的な民衆の支持を獲得していた訳ですが…。
判断基準として己の思考や好悪よりも周囲との同調が勝るというのは、
西岡には孤立してしまうよりもよほど恐ろしい事に思えますが、
実害がなければ特に気にはなりません。
しかしこのままだと実害が発生しそうな気がしないでも無い為、ひとりごちます。
SNSで自身の生活と一切無関係な有名人の行為を根気良く叩くという、
時間を持て余していなければ決してできないセレブ行為が最早あまり珍しくない、という事実。
少数派の優遇を声高に叫ぶ一方で、同調圧力に屈せよと同じ口で叫ぶ無自覚さ。
他者依存と理解という誤解が承認欲求の成れの果てなんでしょうね。
自らよく考え、選択した答えであるならば、
誰にも理解して貰えなくとも別に良いのではないでしょうか。少数派の意見を多数派に無理に受け入れさせる必要がどこにありますか?
問題は理不尽の回避と互いに礼節を守れるかどうかだけなのでは。
人格の不統一や自己矛盾は人間の特性なので良い面もありますが、
攻撃に転じると生き様としては美しくないですね。
美しくなくても良いという価値観はあるのでしょうけれど…。
素直に意見を言うと大抵少数派になる西岡がやや長文でライトにお送りしました。