自覚があるということ

「読書家=知性派」の様な、イメージ先行で割と広く受け入れられているレッテルってありますよね。
西岡は幼き頃から相当な冊数を乱読しておりまして、絵本を読みたいばかりに未就学時点で独学により平仮名を習得し、小学4年生のみぎりには暗闇で隠れて読書をし過ぎた事で視力を落とし、授業中に無関係な読書を続けた事から学生生活全般を通して自分で勝手に得た知識なのか授業で習った知識なのかが不明であり、実家の蔵書はピーク時に2,000冊を超えていた為、とりあえず読書家と仮定しても良い事にします。
しかし、あまりに楽しみ過ぎているきらいがあり、勉強目的で購入した本も気が付いたら面白く読んでしまい、読む本が無い時は辞書を読んでいたりもしましたが、それさえも「楽しいなぁ」という感想で、知性への発展という意味では我ながら疑問です。
「考える」という行為も大好きなのですが、飽きっぽい性格ゆえなのか集中して考えるというよりは思考の対象が流動している状態で、「考え抜く」「考え尽くす」という点からはこれまた疑問です。
ここで終わると単に趣味から想起されるイメージを裏切るかわいそうな人なのですが、こういった自分の弱点に関しては自覚さえあれば割とそれをカバーできるので、救いがありますよ、という事をお伝えしたかったのです。