こどもの頃リベラル寄りだった理由

今でもどちらかと言えば群れるのが苦手で個人を尊重する志向性の私だが、10代の半ば頃までは社会基盤に求める理想も少々リベラル寄りであった。
狭い世界しか知らない年頃であり、左寄りの言説は机上においてのみ高邁で美しいものであるから、思春期において心惹かれるのは無理もない事ではあるが、矢張り恵まれているとは言い難い生育環境の影響が大きかったと思う。
橘玲氏の言葉を借りれば「伽藍の世界」で日々を送る中、周囲では当たり前の環境が自身に与えられておらず、しかもその結果は自身の選択や努力とは全く無関係なメカニズムによりもたらされたものとあっては、社会のしくみそのものに不審を抱く事それ自体は何ら不自然な事ではないと思う。
しかし、長じるにつれ知恵がついてくると、マルクスやネオリベの主張は到底実現不可能な夢物語であり、自分を幸せにするものではないと嫌でも気付く。残念だが彼らの論は、子どもですらすぐに行き止まりが見えてしまうほどの深度しかなく、世間知らずであったり浅慮であるからこそ信じることのできるものに過ぎなかった、ということ。
つまり一度は結構なレベルまで考え抜いた経験を持つ人間に対し、にわかリベラルが上辺で何を主張してきてもシャットアウトです。ご依頼の際の目安にしていただけましたら幸いに思います。